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高知地方裁判所 昭和24年(行)45号 判決 1949年12月05日

原告

伊與木定

被告

高知県農地委員会

主文

被告が別紙第一、二目録記載の農地の買收計画に対する原告の訴願を昭和二十三年十二月二日付で棄却した裁決を取消す。

訴訟費用は全部被告の負担とする。

請求の趣旨

主文第一、二項と同趣旨

事実

原告訴訟代理人は、その請求原因として、

訴外大正町農地委員会は別紙第一、二目録記載の農地につき自作農創設特別措置法第六條の二の規定によりこれが原告所有の小作地で且つ原告が不在地主であることを理由に買收計画を定めこれに対する原告の異議を却下した。そこで原告は更に訴願を提起したところ被告は昭和二十三年十二月二日附でこれを棄却する裁決をした。しかしながら先づ別紙第一目録記載の農地は原告の所有であるが第二目録記載のものは原告と訴外永瀨良子の共有であるからこの全部を原告の所有地として原告のみを相手に買收計画を定めたのは違法である。次に昭和二十年十一月二十三日現在において原告の住所は本件農地所在の大正町にあつて原告はいわゆる不在地主ではない。もつとも当時原告は右町の満洲派遣開拓団長に選ばれ内地、満洲間を往復していたが、しかし右町から転出手続をとつたことはなく又家族も同町に居住し農耕に従事していて原告としては満洲移住の意思も事実も全くなかつたものである。そこで原告を不在地主とする買收計画は違法である。しかも第一目録記載一、の農地及び第二目録記載一、ないし四、の農地はいわゆる小作地ではなく原告の自作地を訴外国沢宅馬に期間五箇年の定めで請負耕作させていたものであつて、その期間もすでに満了したが右訴外人が返還しないので窪川簡易裁判所に引渡請求訴を提起し原告勝訴の判決を受けているものである。従つてこれ等の農地を小作地として買收計画を定めたのは違法である。以上のように本件農地買收計画は違法であるからこれに対する原告の訴願を被告が棄却した裁決は当然違法である。原告はその取消を求めるため本訴に及んだものである。(立証省略)

被告指定代理人は「原告の請求を棄却する」との判決を求め、

次のように述べた。

「原告の主張事実中訴外大正町農地委員会が別紙第一、二目録記載の農地につき原告主張のような買收計画を定め、これに対する原告の異議を却下したこと、被告が原告の訴願をその主張する日附で棄却する裁決をしたことは認めるがその余の事実はすべて争う。本件農地は原告が昭和十七年頃から訴外国沢宅馬に賃貸した小作地であり、原告は昭和十八年満洲開拓団の団長として渡満し昭和二十年十一月二十三日当時は満洲に居住していたものである。そして右町農地委員会は右国沢の請求に基き本件農地の買收計画を定めたものであつてこれに違法な点はなく従つて被告の訴願棄却の裁決にも違法な点は何もない」。(立証省略)

理由

訴外大正町農地委員会が別紙第一、二目録記載の農地につき自作農創設特別措置法第六條の二の規定によりこれが原告所有の小作地で且つ原告が不在地主であることを理由に買收計画を定め被告がこれに対する原告の訴願を昭和二十三年十二月二日附で棄却する裁決をしたことは当事者間に爭いがない。

そして昭和二十年十一月二十三日当時原告は満洲派遣開拓團長として渡満していて当時満洲に滯在し内地に帰還したのは昭和二十一年夏頃であることは証人岡村五郞の証言及び原告本人訊問の結果により明らかである。ところで成立に爭いのない甲第三、四号証、原告本人訊問の結果により眞正に成立したと認める甲第六、七号証及び証人岡村五郞の証言及び原告本人訊問の結果を綜合すると次の事実が認定できる。すなわち、原告は昭和十九年三月頃前記團長として渡満したのであるが、この渡満は当時の政府から原告居住の大正町(当時村)が満洲開拓のための入殖村に指定されたところ右團長の志望者が誰もなかつたため村会が原告を推挙し原告は村の有力者や親藉の者等から説得せられてやむを得ずそれを承諾したことによるものであること、そして原告は單身で渡満したのでその留守中の土地、家族等の世話は村が責任を持つという約束であつたこと、原告の團長としての任務は開拓のため入殖をあつせんし、内地満洲間の連絡事務に從事し、その期間も入殖が終るまでの三、四年間の予定であつたこと、そこで原告は満洲では自分のため農地を貰わず昭和十九年六月頃には一度内地に帰還し同年十一月頃まで大正町に滯在しその間自己の農地の耕作等の家事に從事した上再び渡満したものであること、從つて住居の移轉、配給切りかえの手続等は全くやらずそのまゝ同町に残してあつたこと、なお原告は昭和二十年にも帰還する予定であつたが病氣等のため実現できなかつたことが認められる。そしてこの認定を覆すに足る証拠は何もない。もつとも原告の妻が昭和二十年五月頃渡満し同二十一年原告とともに内地に帰還していてその間右大正町に居住していなかつたことは成立に爭いのない甲第四号証及び原告本人訊問の結果により明らかであるが、しかし又当時原告が病氣になつたため、その身のまわりの世話のため原告の妻は短期間の予定で渡満したものであつて間もなく終戰のため右時期まで帰還が遅くれた事情にあることも右証拠によつて認められるところである。以上認定の事実を綜合すれば原告の生活の本拠は本件農地所在の右大正町にあると考えるべきものである。しかもかような場合は自作農創設特別措置法の解釈としても原告の住所は右大正町にあつたものと考えるのが相当であつて昭和二十年十一月二十三日当時たまたま原告が現実に満洲に滯在していたとの事実はこの判断を妨げるものではない。從つて原告不在地主とする本件農地の買收計画は違法である。そこでこれに対する原告の訴願を棄却した被告の裁決も当然違法であり取消を免れないものといわねばならない。

以上の点で原告の本訴請求が正当であることは明らかであるからその余の点についての判断は省略してその請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條を適用して主文のとおり判決する。

(森本 安藝 谷本)

(目録省略)

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